会所跡の碑

公開日 2014年12月16日

会所跡の碑(現在)1

平成14年4月15日除幕

解説
【学問の始まり】
琉球王府の教育奨励のため19世紀に入って地方間切にも筆算稽古所が置かれた。1835年ころ筆算稽古所に代わって会所(クェージュ)が置かれた。
【設置場所】
大水ノ口殿屋の西隣りに置いた。入所希望者が増え東西二カ所に分かれた。西会所は現在の芳魂之塔西隣りの宅地内に、東会所は前ガッシャ池(現東江前公民館敷地)のほとりにあった。
【生徒と職員】
生徒は東西各30人ぐらい居た。師匠は首里那覇の士族を招いた。最後の師匠は西会所は泊出身の仲元興喚で、東会所は饒平名機能であった。
【教科】
教科は、読書、作文、算術、御教条、六諭衍義等であった。作文は日用文、証書の認め方を主とし、算術は珠算によって加減乗除をするなどであった。
【村踊りの始まり】
生徒は旧正月には島民に踊りを披露した。筆算稽古所踊りを継いで会所踊りといった。廃藩で会所が廃止になり踊りも中断していたが、島民の希望で百姓踊りとして明治20年代村芝居と銘打って復活し、5カ村(字)が交代で毎年8月に年中行事として催された。戦争で中断する。
【村踊りの変遷】
太平洋戦争直後、住民は捕虜先の渡嘉敷・久志の両保護地区で村踊を実施し村民に希望と勇気を与えた。帰村後は生年祝いや米寿祝い、合同祝いをして踊りの保存継承に努めた。
【国の重要無形民俗文化財指定】
1973年7月に民俗芸能保存会を結成する。1980年から各区持ち回りの発表会を開催している。1976年12月、国の重要無形民俗文化財の選択を受ける。1998年12月16日「伊江島の村踊」は国の重要無形民俗文化財として指定を受ける。
〈『伊江村史』より〉 

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電話:0980-49-2334
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