伊江島の村踊~国の重要無形民俗文化財~

公開日 2015年01月13日

伊江島の村踊
~国の重要無形民俗文化財~

「伊江島の村踊」は先人の遺した貴重な芸能で、三つに分けることができます。

  1. ヤマト風芸能の踊り
  2. 島で創作された踊り
  3. 沖縄本島や他の地域などから伝来して来た踊り

特に伊江御殿と川平殿内が薩摩や江戸に旅役として出向くときには、伊江島の若者を連れて行き、そこで習い覚えてきたのがヤマト風芸能といわれています。

また、二才踊りが多く、2~4人構成で演技時間も1分程度と短いのが特徴で他の市町村には類をみない芸能であります。独特な芸能を持つ村踊りは、昭和51年に文化庁から「選択」を受け、平成10年12月16日に「国の重要無形民俗文化財」に指定されました。

島では、昭和48年に村民俗芸能保存会を結成し、数多い二才踊りや組踊「忠臣蔵」などが今なお保存・継承されており、昭和55年以降からは、村内8区持ち廻り(8年に1度の割合)で毎年11月に開催される民俗芸能発表会で村踊りを演じ、後世に島独特の素晴らしい芸能を伝承しています。

保存地域

  • 川 平・・・忠臣身替の巻(八重瀬)・伏山敵討
  • 東江上・・・立山敵討(忠臣反間の巻)・忠臣蔵・操義伝
  • 東江前・・・久志ぬ若按司(天願の按司)・矢蔵ぬ比屋
  • 西江前・・・久良波大主(大湾敵討)・忠臣身替の巻(八重瀬)
  • 西江上・・・大川敵討(村原)・本部大主(北山敵討)
  • 西 崎・・・姉妹敵討

組踊「忠臣蔵」

シティナ節
赤穂浪士の仇討事件を脚色し、人形浄瑠璃文楽や歌舞伎で有名な『仮名手本忠臣蔵』を元に創られた組踊『忠臣蔵』があります。
1609年に薩摩藩[鹿児島]の侵攻を受けた琉球王国は、たびたび薩摩へ役人を派遣しました。その随行の際、伊江島出身の上地太郎が薩摩を訪れ、『仮名手本忠臣蔵』を翻案して、組踊『忠臣蔵』を創作されたといわれています。毎年11月の伊江島村民俗芸能発表会の「伊江島の村踊」で披露されます。国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

シティナ節

シティナ節
「シティナ節」は、伊江村の大和風芸能の代表的なものである。曲名はハヤシ詞から名付けられたものと思われる。男女六人の打組み踊りで構成され、格調高い舞踊とされている、平和を希求した内容の歌詞である。

宮古節

宮古節
昔、若者が宮古島へ行き、土地の者と親しくなり、歌ったり踊ったり、毛遊びして覚えて来たものを持ち帰って振り付けしたものと思われる。宮古のあやぐの編曲だろうと言われている。

ペンシマ

ペンシマ
ペンシマは3場面から成り立っている。
○第1場面は六匹の鬼が登場し、棒を叩きながら歌(歌意不明)に合わせて踊る。
○第2場面では、棒を持たず素手で飛び跳ねながら踊る。
○第3場面は、「やぶつぃの比屋」という男が登場し、詞章を唱え、鬼の住みかへ行き六匹の鬼を次々と退治する場面である。鬼面を被ったペンシマは本村でしか見られない。

あかきな節

あかきな節
あかきな節は奄美大島から伝わってきたと言われている。
春の訪れの喜びを歌った踊りである。

雨降花染

雨降花染
新しい年の始めに、雨が降って今年は豊作だ。染物が雨に濡れて色褪せないようにしよう。
豊かな年に恵り合えたのだから、皆で祝おうではないかという、農民の喜びを表した踊りである。

お問い合わせ

総務課
住所:沖縄県国頭郡伊江村字東江前38番地
電話:0980-49-2001
ファクシミリ:0980-49-2003

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