組踊 久志の若按司(天願の按司)

公開日 2015年02月20日

組踊 久志の若按司2

登場人物

久志方
久志の若按司、天願摘子千代松同乙鶴、立川の大主、砂田の子、浜崎のひや、外間の子、国吉の子、伊豆味捌庫理。
謝名方
謝名の大主、富盛大主、川崎ぬひや、平田の子、共二人。
その他
家主西銘。

解説

天願の按司は聡明な人柄であったが、頭役謝名の大主の陰謀と謀叛によって亡ぼされ、奥方と共に此の世を果てたのである。
天願の按司の遺児、千代松と乙鶴は難をのがれ、従兄に当る久志の若按司を頼って仇を討つべく久志の城元を指して天願村を出発したのである。途中二人は飢と寒さに耐えながら久志へと進んだのであるが、暗い山中のため道に迷ったのである。困り果てた二人は漸く民家を探し求め一夜を泊めてもらうようお願いしたのであるが、謝名の大主から二人を泊めるものは厳罰に処すると言う達しがあってどこの家でも断られる。
途方にくれた二人は、余りの疲労のためつい山中に寝入ったのである。

千代松と乙姫が城中を抜け出したことを察知した謝名の大主は、二人を生かしておくと久志の若按司と組んで仇討ちを果すことは疑いないものと思い二人を探し出して殺して来るよう富盛大主に命じた。千代松と乙鶴は運悪く富盛大主に探し出され、捕われの身となりその一夜を東恩納番所に明かすことになった。このことを伝え聞いた久志の若按司は、二人を救い出すため立川の大主砂田の子を従え、美里、越来、具志川、与那城、勝連へと旅立つのである。途中美里伊波村に立ち寄ったところ、二人が富盛大主の捕虜となり、東恩納番所に幽閉されている事を聞き出したのである。
早速そこへ乗り込み、二人を救い出すと共に富盛大主を生け捕りにしたのであった。
久志の若按司に捕われた富盛大主は、「命を助けてくれるなら、久志方に味方して謝名の大主を討ち亡ぼすことに協力してもよい。」と命乞いをしたのである。
それに対し、久志の若按司は、立川の大主や砂田の子の反対を押し切ってその願い出を許したのである。
ところが久志の若按司は、富盛大主の言葉は、嘘であることを見抜き釈放に当って、次のことを命じたのである。
「謝名方には、川崎のひゃーと言う優れた武将がいるが、川崎のひゃぁーは謝名の大主に対し日頃から好感を持っておらず、近いうちに謝名の大主を亡ぼすことを計画しているので、大変良い機会だから二人で協力して謝名の行動を内通してくれ。」と頼んだ。
しかし、そのことは相手の戦力を弱める戦略上の偽りとも知らず、謝名方に帰った富盛大主は鬼の首でも取ったように、さっそく謝名の大主に、川崎のひゃぁーの謀叛のことを言上したのである。
それを真に受けた謝名の大主は、怒り心頭に達し、直に川崎のひゃぁーを捕え拷問の後手討ちにしたのである。

富村大主は久志の若按司との約束通り謝名から久志の若按司宛に内通の文を使わしたのであった。それには
「謝名の大主は今日より二〇日後に、久志の城元を攻めることになっている。久志方はそれに備え、立川の大主と、砂田の子始め強者全員金武岳に集結させ、謝名方が久志の城元を目指し北上するところを、かえり討ちにするように。」と書いてあった。

この文は、富盛大主が久志の若按司に約束した内通の文に見せかけ、実は久志方の軍勢を金武岳にやり、その留守を襲い天願の千代松、乙鶴、久志の若按司を打ち取るたくらみであった。
ところが、久志の若按司はその文は偽りであることを察知し、謝名の大主の策略の裏をかいて金武岳に伏兵がいるように見せかけ煙を炊かせたのである。
謝名の大主はそれを見て、久志の城元めがけて攻め入ったのである。
久志方では、兼ねての手配通り戦況が進み一気に謝名の軍勢を討ち敗ることができた。
謝名の大主と富盛の大主は生け捕りにされ、久志浜に引き出され、拷問の末処刑されたのである。それで天願の千代松乙鶴は、従兄の久志の若按司のはからいで目出度く仇討をとげたのである。

(東江前区保存)

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