公開日 2014年12月16日
平成12年度建立
天下太平に 治まる御代は
弓は袋に 剣は箱に
治まる御代こそ目出たきて
歌意
シティナ節は大和風芸能の代表的なもので男女6人の打組踊りで構成されている。きらびやかな衣装をまとった女性と武士が仲良く踊って遊ぶ姿は、いかにも天下太平であるとの意。
シティナ節 (三下調子) 〈伝承地:東江上〉
系統:会所踊い系<ヤマト。 踊の構成等:男3人、 女(形)3人。打込み踊。
衣裳:男性は、黒の紋付き羽織に黒脚絆、黒の頭巾でほっかむり、腰には一本の剣をさして踊る。女形(女性)は、ふさつきバサラの飾りに、紅型衣装に、紫色の長巾(ながさじ)をたらし、白い足袋をはいて踊る。
※従来、男性が踊るのを伝統にしていた。女(形)も1961年(昭和36年)から女性が踊るようになった。
一 天下太平に治まる御代は弓は袋に剣は箱に
治まる御代こそ目出たきて ユイヤナー
シティナー シティナー
ユー シティナー ユイヤナー
二 うなつ なつなつ なつかたびろは
なににすみかと しゆじょうるにといて
あさじにくまがた びんがのく ユイヤナー
シティナー シティナー
ユー シティナー ユイヤナー
シティナ節台詞
男優 甲の独演せりふ
旦那がお立ちじゃ お立ちじゃ/愛宕山からじゃじゃきたじゃがな/ここから天草 十八町
※天草は民謡ハイヤ節発祥の地とされる。
男優 乙の独演台詞
思うて思うても 自由ならぬ/おわい じゃじゃぎぬ うすじゃぎな/きんくわと 思うた
男優 丙の独演科白
思うたばかりの 気の損じゃ/おほしのわたこざしち 手に枕/烏ごうごう 飛ばりばよいじゃ
〔『伊江村史』上巻560~1頁〕
大意
一 天下太平治まる御代は、弓は袋に剣は箱に、治まる御代こそめでたいもである。
二 お夏々々夏帷子は、何に染めよか清十郎に問えば、浅黄に駒形 紅鹿の子に染めるがよいとのことでした。
語意
天下泰平・天下太平=世の中がよくおさまりおだやかなこと。 御代=天皇などの治世を敬っていう語。
おなつ・お夏=女性の人名。 かたびろ・惟巾・帷子=かたびら。裏を付けない衣服。夏用の麻の小袖。何にすみかと=何に染めよかと。 しゅじょうる・清十郎=男性の人名。八丈島にせじうる(清十郎)という民謡あり。 浅黄=あさぎ。浅葱の「葱」を「黄」と混同して「浅黄」とも書く。わずかに緑色を帯びた薄い青の浅葱色。 くまがた・駒形=こまがた。駒の形。将棋の駒の形をしたもの。馬をかたどった作り物。 びんがのく・紅鹿子=べにかのこ。紅色の鹿の子絞り。
解説
シティナ節は、伊江島のヤマト風芸能の代表的なものである。男女6人の打組踊りで構成され格調高い踊りである。1番の歌詞は平和を願った歌であり、2番の歌詞はお夏・清十郎のことを歌っている。(資料を参照)
類歌
- 天下泰平、治まる御世は /弓は袋に、剣は箱に(ハイヤ) /おさまる御世こそ、目出たけれ(ヨーイヤナー)。 <安芸の御手洗(大浦町越路)>〔小野重明著作集『祭りと芸能』〕
- 天下太平治まる御代は弓は袋に、剣は箱に、治まる御代こそめでたけれ 〔『下野敏見著『南九州の民俗芸能』』
- お夏々々夏惟巾を/何に染めよか清十郎に問えば/添黄に駒型 紅鹿子 〔津和野踊り 山路興造氏提供 沖本常吉・民俗芸能33号・1968〕
- お夏お夏夏惟巾を /何に柴めよか清十郎に問えば /添黄に駒形紅鹿子 〔矢富巌夫著『鷺舞と津和野踊り』〕
- おなつ なつ なつ 夏かたびらを
なにに染むるかとおくやに問えば(アードスコイ)
浅黄に こまがた 紅かの子 (ヨイヤナ)(ステナ ステナ) 〔下名疱瘡踊り すてな節(天下泰平)「町制施行四十周年記念豊年祭要項」姶良町〕
シティナ節の呼称あれこれ
伊江島
- してな節 1958 昭和33年 6月18日 村外初公演 (第六回 全琉協同組合大会 国映館)
- シティナ節 1969 昭和44年12月30日 『伊江島民謡工工四』発行 (東江萬太郎・玉城正徳共著)
- してな節 1971 昭和46年 9月30日 東江上区戦後初上演
- 四手納節 1984 昭和59年11月11日 南風原町 第6回民俗芸能交流会
- 〃 1985 昭和60年 9月 3日 『民謡と舞踊曲工工四』発行 (伊江村民俗芸能保存会)
- シティナ節 1997 平成 9年 3月31日 『伊江島民謡舞踊曲工工四』発行 (伊江村民俗芸能保存会)
- してな節 1997 平成 9年 3月31日 『箏曲伊江島民謡と舞踊曲工工四』発行 (伊江村教育委員会)
八重山
- してなふし 1847 弘化4年道光27年4月 石垣島に入る。『大和哥集』で本田安次著『南島採訪記』所収。
※この頃伊江島に伝来した。「石垣島その他で行われとものゝやうである」に基づき推定した。 - 志手名節 同じ頃 八重山の躍番組『謡囃子躍狂言組』にあり。大田静男著『八重山の芸能』に所収。
他の県
- シテイナー 1583神津島児踊唄(シティナー節の次に[中タイ節]が唄われる。)東京都伊豆七島神津島の盆会に濤響寺境内に舞台を設けて行われる踊唄。四百年前に島の主が上洛して伝習したものという。 (日本民謡大事典発行年1983-400前=1583伝習した年代)。
- 志 氏 奈 1855 安政5年香川県の「西讚府志」の風俗の章に「志氏奈」あり。『南島採訪記』所収。
- してな踊 1990 『平成版 日本民謡大全集』でしてな踊は、三方郡三方町鳥浜に伝わる踊りであると言われる民謡とあるだけで来歴年不詳。 (資料収集の年)
- すてな節 1995 「町制施行四十周年記念事業 姶良町民俗芸能大会」要項で、鹿児島からきた来た音曲の 女師匠「すてな」によって伝えられ疱瘡退散のために踊ったと言われている。来歴年不詳。 (資料収集の年) ※歌詞が伊江島のシティナ節の類歌と思われる歌には、*を付してある。
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所在地
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- 伊江村の歌碑・顕彰碑・顕彰像 (2022年09月02日 教育委員会)