「伊江島の村踊」について

公開日 2015年02月14日

タイトル

村踊の特徴とヤマト系芸能の歴史的背景

「伊江島の村踊」は青年踊りと言われる二才踊り(にせうどぅい)で、沖縄の他の地域に類を見ない独特な芸能である。(1)島で創作された踊り(2)沖縄本島や他の地域から伝わってきた踊り(3)本土の影響を受けた踊り(ヤマト系芸能)の三種類の踊り方に分類することができる。特にヤマト系芸能は本村の独特な芸能であり、重要無形民俗文化財となる大きな要因となっている。伊江島と本土の芸能との関係については伊江島総地頭代がヤマト旅を仰せつかったことが大いに関与したのではないかといわれている。1675年から1876年までの約200年間に伊江御殿から9回、川平殿内から4回、計13回ヤマト旅に出向いている。1804年には、伊江朝平が楽童子として読谷王子とともに江戸上りをしている。これまでの薩摩や江戸へのヤマト上りの際に、島の優秀な若者上地太郎氏らがお供をしており、旅の道中、見聞した様々なヤマト歌や踊りを吸収し、島に持ち帰り三線音曲にのせ、独自に振り付け、構成したものと考えられる。上地太郎は34歳の頃(1840年推定)、西江上の安田某の協力を得て、寛延元年(1748)に大阪の竹本座で初演された「仮名手本忠臣蔵」を元に、場の設定や琉球古典音楽などを取り入れて沖縄風に仕組んだ組踊「忠臣蔵」を翻案している。(現在は、東江上区で保存継承されている。)また、後に地頭代まで昇進し、伊江小学校の創設に貢献した東江實助氏もヤマト旅に随行した一人である。

会所(学問・村踊発祥の地)

琉球王府の教育奨励のため19世紀に入って、地方間切にも筆算稽古所が置かれた。1835年頃には筆算稽古所に代わって会所(クェージュ)が置かれるようになった。会所は「伊江島の学問」と「村踊」の発祥の地として島の教育・文化の発展に大きく貢献した。大水ノ口殿屋の西隣に置かれ、希望者が増えたので、東西二ヶ所に分かれた。生徒は東西各30人程度であった。師匠は首里の士族を招き、最後の師匠は西会所が泊出身の仲元興喚で、東会所は饒平名機能であった。東会所は明治11年に焼失して仮設したが、小学校ができると閉鎖した。西会所は明治20年の後半まであった。

会所踊と百姓踊と八月踊り

会所では芸能も習得し、その成果を旧正月に披露していた。このことを会所踊(クェージュウドゥイ)と言い、村踊りの始まりである。廃藩で会所が廃止になり踊りも中断していたが、島民の希望で百姓踊(ヒャクショーウドゥイ)として、毎年旧暦8月に東江上、東江前、西江上、西江前、川平の5ヶ村(字)で村踊りが演じられるようになった。後に、「八月踊り」となったが、明治、大正期を経て、第二次世界大戦で中断するも、住民は捕虜先の渡嘉敷、久志の両保護地区で村踊りを発表した。帰村後は、成年祝いや米寿祝い、合同祝いをして村踊りの保存継承に努めた。

各区輪番制(字マール)

昭和48年7月21日に伊江村民俗芸能保存会(東江正有会長)を設立し、昭和55年度(1980)から、阿良、西崎、真謝の3字を加えて各区輪番制による伊江村民俗芸能発表会(11月中旬)が開催された。東江前→川平→東江上→西江上→阿良→西江前→真謝→西崎の順で発表する。同発表会へは約6ヶ月間、公民館や仮設舞台に集い、稽古を重ねる。役者は、ほとんどが20代~40代で、歌三線や太鼓などの地謡(ジューテ)が加わる。発表会では、役者紹介を兼ね出羽(イジッパ)を行い、端踊り、舞踊、組踊などを演じ、そして、全演舞終了時に誇らしく踊る、入羽(イッパ)をするのが慣例である。また、村発表会の前には区民や案内された村内外民の方へお披露目をする正日=ショーニチ(本番)が催されている。

民俗芸能発表会の趣旨は次のとおりである。

伊江村は他に類を見ない独特な民俗芸能の豊富な島として知られている。そのことは、異なる地域の文化を受容し、土着の文化との調和を図りながら新しい文化を創造してきた優れた先人たちの功績に負うところが大きい。現代に生きる私たちは、これら先人の遺してくれた香り高い無形の民俗文化財である「伊江島の村踊」を保存継承していく義務がある。そこで、島に伝えられてきた民俗芸能の保存継承の活動を促進するとともに、民俗芸能の活用を通して村民の心を豊かにし、生活の中に文化的にも潤いのある島、創造性に富む村づくりを推進するために発表会を開催する。

本村では、1969年10月1日に「伊江村主催諸行事余興費補助金交付規程」を制定し施行している。この規程は「本村主催の米寿及び生年合同祝賀会、その他諸行事の余興費用に充てるためにこの規程の定めるところにより補助金を交付する」というものである。また、平成元年9月20日付けで「伊江村民俗芸能振興基金条例」を制定している。(平成12年12月4日改正)これは、「本村に伝わる民俗芸能の保存と活用を推進するとともに、優れた芸能の公演を奨励することによって、村の文化の振興及び村民の文化的向上に資するため」に設けられ、行政の文化に対する理解が保存伝承活動への促進へとつながっている。

現在、行政と民族芸能保存会の協議により、発表担当国は、継承活動補助金として150万円(組踊+踊り)を交付している。組踊をせず踊りのみの場合は120万円である。

民謡と踊り

本村には、島独特の民謡や二才踊りが多く、保存継承されている。

東踊い(アーリウドゥイ)

城の前今日の誇らしや門口池小堀荷取い須磨の浦節シティナ節端山

薩摩新橋古見の浦小学節天の群星酒飲み手東前ん渠按司添前雨露

沈仁屋久(1)沈仁屋久(2)稲穂国頭さばくい汀間節宮古節様は

作たる米四季口説笠に音扇吉田真北

西踊い(イリウドゥイ)

嬉し目出度や様は三夜雨降花染ゼー吉田笠吉田くるく節ヨイヨイ節

笠に音次郎が城の前、真河の上今日の誇らしや扇吉田エンサ節勝連節

遊でぶしゃあてん久高天の群星作たる米ゆらてぃく節殿の御門四季口説

あかきな節真北見れば宮古節じゅうに名護や国頭大中桃原

(全区共通の踊い)

渡海ひざみ早口説

(発表会で踊られてきたその他の芸能)

鬼面踊り=ペンシマ

二才踊り=坂原、久高・さまはさんや、与那原節、すーり東、中作田

古典舞踊=かぎやで風、高平良万才、四つ竹、前の浜、

雑 踊 り =加那ヨー、鳩間節、貫花、浜千鳥、むんじゅる、川平節、松竹梅・鶴亀

亀甲節、秋の踊り、甲偲び、かたみ節、魚売あんぐゎー、戻り籠、瀧落とし

小浜節、祝い節、花笠節

創作舞踊=馬山川、

歌  劇=西武門節、愛の雨傘、

道  行=波平道行、久志の道行、崎原ぬ比屋

そ の 他 =南洋踊り、棒、なぎなた、豚小狂言、挽物口説

  • 組踊(各区で保存伝承されている組踊)

東江上=忠臣蔵立山敵討(忠臣反間の巻)、操義伝

東江前=矢蔵ぬ比屋、久志ぬ若按司(天願の按司)

西江上=本部大主(北山敵討)大川敵討(村原)

西江前=久良波大主(大湾敵討)、忠臣身替の巻(八重瀬)

川 平=伏山敵討忠臣身替の巻(八重瀬)

西 崎=姉妹敵討

踊りの特徴

村踊りは3種類の踊り方に分けることができ、ほとんどが二才踊りで演技時間が1分程度と短く、2人~4人で構成されている。何も持たないで素手で踊る「無手」と扇、陣笠、ゼー(セイ)などを持つ踊り方がある。

村踊の衣装と道具

衣装は、ほとんどが白の請鉢巻、黒地の衣装(紋付ワタジン)で、平帯を背中の方で結ぶ。(各字によって帯の結び方や紋が異なることがある。)黒の脚絆、黒の足袋を着ける。手には、扇、陣笠、セーを持つ。

村踊りの衣装

紋

帯

基本的な二才踊りの衣装は上記に掲載されているが、その他の衣装も紹介する。

シティナ節の衣装  

シティナ節の衣装は黒紋付羽織で、頭巾でほっかむり、腰に1本の剣を挿す。女(形)は、ふさつきバラサの飾り、紅型衣装に紫色の長巾(ながさじ)をたらし、足袋を履いている。 

あかきな節の衣装
シュロ
あかきな節は、白のドヂン、白のシャツで緑・紫・水色といった衣装を身に着け(字によって違う)白・赤・緑などの縦縞の脚絆を着用(字によって違う)頭には、シュロの皮で作ったカンピを被り、先には竹のかんざし、シュロで作った眼鏡、ヒゲをつける。

国頭さばくい
国頭さばくいは、芭蕉布の着物に帯はワラ縄、腰には煙草入れをぶら下げ素足で踊る。頭には、シュロの皮で作ったカンピ被り、先には竹のかんざし、シュロで作った眼鏡、ヒゲをつける。

シュロ(ヤシ科)の木1  シュロ(ヤシ科)の木2
あかきな節や国頭さばくいに使用されているシュロ(ヤシ科)の木。(方言名シュル)
(写真) 東江上 知念吉武氏宅

 二才踊りの立ち方

二才踊りの立ち方1

二才踊りの立ち方2

地謡(ジューテ)

民俗芸能発表会では歌三線、太鼓が主流で、近年は筝や笛などが入る字もある。かつては、舞台中央奥にトゥイダナと言われる地謡の部屋があったが、現在は、上手または下手の地謡の部屋で歌三線等をするのが慣例になっている。

歌碑建立

本村では、島に伝わる民謡や舞踊曲、顕彰碑などを建立し、後世へ島の歴史を伝えている。昭和62年度から始まり、現在は21基の碑が建立されている。平成12年度と平成13年度には「伊江島の村踊」国指定記念事業として、ヤマト系芸能の歌碑を建立した。

村踊に関する記録資料

先人たちは口碑伝承で、歌三線が受け継がれてきた。昭和44年に玉城正徳氏、東江萬太郎氏の努力によって、伊江島民謡が採譜収録され、初めて文字や記号によって記譜伝授された。

後に、村民俗芸能保存会と教育委員会が中心となって、村踊りの資料整備を図っていった。

昭和53年3月   国の選択を受け「伊江島の村踊り」を発刊

昭和60年9月   『民謡と舞踊曲工工四』発刊

昭和61年     伊江島の民謡と舞踊曲(テープ)収録、販売

平成 9年3月   『伊江島民謡舞踊曲工工四』発刊

平成 9年3月   『筝曲伊江島民謡舞踊曲工工四』発刊

昭和55年度~平成18年度   伊江村民俗芸能発表会の映像記録(ビデオテープからDVDへ)

その他、芸能公演出演時の映像記録(ビデオテープ)

学校・社会教育での伝承活動

字マールをはじめ、様々な活動において村踊りを演じる機会が多く、村ぐるみによる継承活動が行われている。保育所のおゆうぎ会や学校教育における学芸会でも村踊りを演じる。また総合的な学習の時間においても「村踊」について勉強している。社会教育活動においても、子ども会発表会においては各区の代表的な踊りを発表する。また、島では、各家庭で催される出産祝いや生年祝いなど祝宴の席においても「村踊」をする風習が今も残っており、「日常生活」と「村踊」が共存共生していると言える。これらのことが、郷土芸能に対する意識が芽生え、郷土芸能に誇りを持ち、村ぐるみで「伊江島の村踊」を保存継承するという「責務」につながっている。

今後の課題

  1. 歌三線の後継者育成

歌三線の後継者育成については、各区において取り組んでいるところもある。今後は全ての区において三線教室を開き、後継者育成に取り組んでいくことが強く望まれる。

  1. 各区輪番制(字マール)の開催方法

青年・壮年層の減少により組踊、二才踊りの役者の確保が困難になってくる可能性がある。基本的には従来どおりの方法で開催し、困難な区については、青・荘年代に限らず、児童生徒や区民総出による発表会の開催も検討する必要がある。

  1. 村民の文化に対する意識

情報の多様化や多忙化が進んでおり、文化に対し、更なる意識啓発が必要とされ、「村ぐるみで村踊を保存継承する」という村民の共通認識を図っていく。

村踊の風景1  村踊りの風景2

村踊りの風景3  村踊の風景4

お問い合わせ

教育委員会
住所:伊江村字東江上75番地
電話:0980-49-2334
ファクシミリ:0980-49-2503

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